東京新聞の記者として知られる望月衣塑子(もちづき いそこ)さん。
官房長官会見での鋭い質問が印象的ですが、若い頃はどんな人だったのでしょうか。
実は、幼い頃は女優を目指しており、ミュージカル『アニー』の主役を経験したこともあるそうです。

昔は女優志望だったんですね!若い頃の写真や、学生時代のエピソードも気になります。
その後、ある1冊の本との出会いをきっかけに新聞記者を志すようになり、大学時代には就職活動で苦戦した経験もありました。
望月さんの幼少期から学生時代、東京新聞入社までの経歴を振り返りながら、かわいい・美人と注目される写真やグラビア情報も見ていきます。
望月衣塑子の基本プロフィール
まずは、望月衣塑子さんの生年月日や出身地、学歴などの基本情報を紹介します。
望月さんは東京都出身で、慶應義塾大学法学部を卒業後、2000年に中日新聞社へ入社しました。
幼い頃は演劇に夢中になり、学生時代には新聞記者を目指すようになります。その歩みを知るために、まずはプロフィールから見ていきましょう。
プロフィール一覧
望月衣塑子さんの学歴や主な経歴を一覧表にまとめました。
| 名前 | 望月衣塑子(もちづき いそこ) |
|---|---|
| 生年月日 | 1975年7月16日 |
| 出身地 | 東京都練馬区大泉 |
| 出身小学校 | 東京学芸大学附属大泉小学校 |
| 出身中学校 | 東京学芸大学附属大泉中学校 |
| 出身高校 | 東京学芸大学附属高等学校 |
| 最終学歴 | 慶應義塾大学法学部政治学科 |
| 入社 | 2000年 中日新聞社(東京本社) |
| 主な担当 | 千葉・横浜支局、社会部で東京地検特捜部、東京地裁・高裁など |
| 家族 | 夫、子供2人、兄、弟(望月龍平さん)など |
中日新聞社への入社年については、資料によって1998年という記載もあります。
ただし、2017年のPRESIDENT Onlineや本人が登壇した講演会の紹介、2025年の葛飾区の講演会案内では、いずれも2000年入社となっています。
そのため、ここでは複数の取材記事や公的な講演会資料で一致している2000年を採用しています。
参考元:PRESIDENT Online(2017年11月18日)
参考元:市川房枝記念会女性と政治センター
名前の由来と家族背景
少し珍しい響きを持つ「衣塑子」という名前にも、家族にまつわるエピソードがあります。
望月さんの母親は詩人・萩原朔太郎が好きで、男の子が生まれたら「朔」という名前にしたいと考えていたそうです。
実際には女の子が生まれたため、「朔」に土を加えた「塑」の字を使い、「衣塑子」と名付けられたと紹介されています。
「塑」には、土をこねて形を作るという意味があります。
その名前には、ものづくりや表現の世界への思いが込められていたようです。
また、父親は業界紙の記者、母親は演劇に熱心な人物でした。
父親は中小企業の経営者などを取材する仕事をしており、写真の専門学校で学んだ経験もあったとされています。
その専門学校では、映画監督の崔洋一さんと同窓だったという話も伝えられています。
一方、母親は仕事を掛け持ちしながら舞台の稽古に通い、子供たちを劇場へ連れて行くこともありました。
新聞記者の父親と、演劇を愛する母親。望月さんは、取材や表現の仕事が身近にある家庭で育ったのです。

名前にもお母さんの思いが込められていたんですね。ご両親の仕事を知ると、望月さんが演劇や新聞に興味を持った背景も見えてきます。
望月衣塑子の子ども時代と児童劇団での経験
現在は新聞記者として知られる望月衣塑子さんですが、若い頃は舞台女優になることを夢見ていました。
小学生の頃から児童劇団に所属し、ミュージカル『アニー』で主役を演じた経験もあります。
ここでは、練馬区大泉で過ごした幼少期から、映画オーディションに挑戦したエピソードまでを見ていきます。
練馬区大泉で過ごした幼少期
望月さんは1975年7月16日、東京都練馬区大泉で生まれました。
東京学芸大学附属大泉小学校に通っていましたが、入学した頃は引っ込み思案な性格だったと振り返っています。
授業中になかなか手を挙げられず、女の子の友達を作ることも得意ではなかったそうです。
そんな望月さんに自信を与えたのが、小学校1・2年生の担任だった「カバ先生」でした。
先生は、望月さんが自分の意見を伝えられるように励ましてくれたといいます。
その経験を通じて、自分の考えを人前で話すことへの自信が少しずつ育まれたそうです。
また、兄や弟の友達と一緒に、サッカーや野球などをして遊ぶことも多かったと振り返っています。
参考元:大月書店「私の出会った先生――素直に伝えていいんだよ(望月衣塑子)」
一方、家庭では母親の影響で、演劇や舞台芸術に親しんでいました。
「劇団黒テント」や「夢の遊眠社」などの舞台を観劇する機会もあり、幼い頃からさまざまな演劇に触れていたとされています。
また、少女漫画『ガラスの仮面』にも夢中になり、主人公の北島マヤに憧れていたそうです。
小学4年生頃には児童劇団に通い始め、将来は舞台女優になりたいという夢を持つようになりました。


引用画像:現代ビジネス

今の積極的な印象とは違って、昔は引っ込み思案だったんですね。小学校の先生との出会いも印象的です。
ミュージカル『アニー』主役と映画オーディションのエピソード
望月衣塑子さんの子供時代で特に印象的なのが、小学校6年生の頃、ミュージカル『アニー』の主役を演じたことです。
地元の児童劇団による発表会でしたが、舞台の中心に立ち、歌や演技を披露する経験をしました。
その頃は女優になる夢を強く持っており、小学校の卒業文集にも女優になるという目標を書いていたそうです。
さらに小学生時代には、白血病の少女を描いた映画『あっこちゃんの日記』のオーディションにも挑戦しました。
多くの応募者がいる中で、最終選考まで残ったというエピソードも紹介されています。
最終的に主演には選ばれませんでしたが、友達役として出演する話があったそうです。
しかし、母親の判断もあり、その出演は見送ることになったと本人が振り返っています。
当時の望月さんが、本格的に女優を目指していたことが伝わるエピソードですね。
参考元:現代ビジネス・望月衣塑子さんの自伝『ブレない人』関連掲載記事

『アニー』の主役だけでなく、映画のオーディションにも挑戦していたとは意外です。女優になっていた未来もあったのかもしれませんね。
望月衣塑子の若い頃はかわいい?美人と話題の写真やグラビアも
望月衣塑子さんについては、「若い頃がかわいい」「美人」といった声もあり、昔の写真が気になる方もいるようです。
幼い頃から演劇に親しみ、女優を目指していたという経歴を知ると、当時はどんな雰囲気だったのか、写真も見てみたくなりますよね。
実は、2025年8月27日に発売された初の自叙伝『ブレない人』には、秘蔵写真や撮り下ろしグラビアが収録されています。
講談社の公式サイトでも、秘蔵写真と撮り下ろしの口絵が付いていることが紹介されています。
さらに、TOKYO HEADLINEでは、撮り下ろしグラビアに加えて、ウェディングドレス姿などの秘蔵写真も掲載されていると紹介されていました。
普段の記者会見で見せる真剣な表情とはまた違った、望月さんのさまざまな表情に触れられる内容になっているようです。
参考元:TOKYO HEADLINE(2025年8月28日)
『ブレない人』について、わかっている情報をまとめました。
| 書籍名 | ブレない人 |
|---|---|
| 著者 | 望月衣塑子 |
| 出版社 | 講談社 |
| 発売日 | 2025年8月27日(紙版) |
| 定価 | 1,870円(税込) |
| 写真 | 秘蔵写真・撮り下ろしグラビア・ウェディングドレス姿など |
なお、『ブレない人』は写真だけを集めた写真集ではなく、望月さん自身が人生や仕事について振り返った自叙伝です。
そのため、写真だけでなく、女優を夢見ていた少女時代や新聞記者になるまでの経緯も知ることができます。
若い頃の姿や、現在とは違った一面に興味がある方にとっても、気になる1冊ですね。

自叙伝にグラビアや秘蔵写真まで収録されているんですね!普段の記者としての姿とは違う表情も気になります。
中学高校時代に芽生えた新聞記者への道
舞台女優になることを夢見ていた望月衣塑子さんですが、中学時代にある1冊の本と出会ったことで、将来の夢が変わり始めます。
その本が、フォトジャーナリスト・吉田ルイ子さんの『南ア・アパルトヘイト共和国』でした。
演劇少女から新聞記者志望へと進路が変わったきっかけを見ていきます。
『南ア・アパルトヘイト共和国』との出会い
東京学芸大学附属大泉中学校に進学した望月さんは、母親に薦められて吉田ルイ子さんの著書『南ア・アパルトヘイト共和国』を読みました。
そこに描かれていたのは、南アフリカで行われていた人種隔離政策(アパルトヘイト)の現実でした。
写真と言葉で伝えられる差別の実態に衝撃を受け、世界で起きていることを取材し、社会に伝える仕事に関心を持つようになったそうです。
それまでは舞台の上で役を演じることに夢中でしたが、次第に現実の社会に目を向けるようになりました。
望月さんは、その後のインタビューでも、この本が新聞記者を志すきっかけになったと振り返っています。
母親が薦めた1冊の本によって、将来の夢が女優から新聞記者へと変わったのです。
学芸大附属中高での学生生活
望月さんは東京学芸大学附属大泉中学校を経て、東京学芸大学附属高等学校へ進学しました。
高校時代も演劇への関心は続いており、舞台を見ることや表現することへの興味を持ち続けていたそうです。
一方、中学生の頃に芽生えた社会問題を取材する仕事への憧れも、進路を考えるうえで重要になっていきます。
高校時代の詳しい部活動や成績などについては、公表されている情報が限られています。
ただし、演劇への関心を持ちながら、将来は新聞記者を目指すようになっていたことは、本人の回想から伝わってきます。
その後、進学したのが慶應義塾大学法学部政治学科でした。

女優の夢から新聞記者へ。中学生の頃に読んだ本が、その後の人生を大きく変えるきっかけになったんですね。
望月衣塑子の慶應義塾大学法学部時代と記者志望としての模索
高校卒業後、望月さんは慶應義塾大学法学部政治学科へ進学します。
現在は政治や社会問題について積極的に発言していますが、実は本人によると、大学時代は「ノンポリ」の学生だったそうです。
また、新聞記者になるまでの就職活動も、決して順調だったわけではありません。
大学時代の考え方と、中日新聞社への入社をつかむまでの経緯を見ていきましょう。
慶應義塾大学時代はノンポリだった?本人が語った学生生活
望月衣塑子さんは、慶應義塾大学法学部政治学科で学んでいました。
法学部政治学科では、政治や社会の仕組み、法律、国際関係などについて学びます。
ただし、望月さん自身が大学時代にどの授業を履修していたのか、詳しい情報は公表されていません。
興味深いのは、2025年に発売された自叙伝『ブレない人』で、学生時代は今のような政治的な考え方ではなかったと振り返っていることです。
本人は当時について、政治的な立場に強いこだわりがない「ノンポリ」の学生だったと説明しています。
新聞社への就職についても、産経新聞や読売新聞など、特定の新聞社の考え方にこだわらず、記者になれることを重視していたそうです。
現在の望月さんからは少し意外に感じられるエピソードですが、若い頃はまず新聞記者として働くことが大きな目標だったようです。
参考元:ほんのひきだし『ブレない人』書評
大学時代には、日雇い労働者が多く集まる東京・山谷で、自主的に取材を試みたというエピソードも紹介されています。
大学で学ぶだけでなく、実際の現場へ足を運び、人から話を聞く仕事にも関心を持っていたことがうかがえます。
そして卒業が近づくと、新聞記者になるための就職活動が始まります。

大学時代はノンポリだったという話が意外ですね。現在のイメージとはまた違う、学生時代の一面が見えてきます。
就職活動と中日新聞社への入社
大学卒業を控えた1990年代後半は、就職氷河期と呼ばれる厳しい時期でした。
望月衣塑子さんも、新聞記者になるための就職活動では苦戦したと振り返っています。
テレビ局の採用試験では思うような結果が出ず、全国紙の採用試験でも複数の不合格を経験したそうです。
それでも新聞記者になることを諦めず、最終的に中日新聞社への入社を決めました。
また、就職活動の時期には両親の離婚話が持ち上がり、家庭の問題にも向き合っていたというエピソードがあります。
その経験を文章にまとめたことが、採用面接で評価されたと本人の回想で紹介されています。
就職活動が順調ではなかったことを考えると、新聞記者としてのスタートをつかむまでにも、さまざまな経験を重ねていたことが伝わってきます。
参考元:現代ビジネス・望月衣塑子さんの自伝『ブレない人』関連掲載記事
そして、2000年に中日新聞社へ入社し、東京本社に配属されました。
中日新聞社は、首都圏では「東京新聞」を発行しています。
望月さんはその後、千葉支局や横浜支局などで事件取材を経験し、新聞記者としてのキャリアを積んでいきました。
本人は過去のインタビューで、同年代の人より2年遅れて社会人になり、2000年に入社したという経緯も語っています。
参考元:PRESIDENT Online(2017年11月18日)
ここまでの若い頃の歩みを、時系列でまとめると次のようになります。
| 年代・時期 | 主な出来事・エピソード |
|---|---|
| 1975年7月16日 | 東京都練馬区大泉に生まれる。父親は業界紙の記者、母親は演劇に熱心な人物だった |
| 小学生時代 | 東京学芸大学附属大泉小学校に通い、児童劇団に所属。『アニー』の主役を務め、映画『あっこちゃんの日記』のオーディションにも挑戦 |
| 中学時代 | 東京学芸大学附属大泉中学校へ進学。『南ア・アパルトヘイト共和国』を読み、新聞記者を志す |
| 高校時代 | 東京学芸大学附属高等学校へ進学。演劇への関心を持ちながら、新聞記者への道を考える |
| 大学時代 | 慶應義塾大学法学部政治学科で学ぶ。本人は当時を「ノンポリの学生」と振り返っている |
| 就職活動期 | テレビ局や新聞社の採用試験で苦戦するも、新聞記者を目指し続ける |
| 2000年 | 中日新聞社(東京本社)に記者として入社。千葉・横浜などで事件取材を担当 |
| 2004年 | 社会部で日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑の一連をスクープ |
| 2010年代前半〜2014年頃 | 結婚・出産・育児休業を経て、武器輸出や軍学共同などの取材に取り組む |
こうして見ると、演劇少女から新聞記者志望へと転じ、就職活動で苦戦しながらも記者になったという流れが見えてきます。

最初から順調に新聞記者になれたわけではないんですね。就職活動で苦戦したという経験も、若い頃の印象的なエピソードです。
中日新聞社入社後の若手記者時代
2000年に中日新聞社へ入社した望月衣塑子さんは、千葉支局や横浜支局で事件取材などを担当しました。
その後、東京地検特捜部などを取材するようになり、2004年には日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑をスクープしています。
全国的な知名度を得る前の、若手記者時代の歩みを見ていきましょう。
地方支局での警察取材と社会部への配属
中日新聞社入社後、望月さんは東京本社の記者として、まず千葉支局や横浜支局などに勤務しました。
警察や地域の事件・事故などを担当し、現場に足を運んで関係者から話を聞く取材を経験しています。
警察取材では、事件の発生後だけでなく、日頃から関係者に話を聞いて情報を集めることも求められます。
望月さんも、警察幹部などへの取材を重ねる「夜討ち朝駆け」を経験したと語っています。
その後、本社社会部へ異動し、東京地検特捜部や東京地裁・高裁などを担当するようになりました。
検察や裁判所の取材では、事件の背景や証拠、関係者の説明など、複雑な情報を正確に扱う必要があります。
地方支局での事件取材から、東京地検特捜部を担当する記者へ。望月さんは取材の幅を広げていきました。
参考元:市川房枝記念会女性と政治センター・望月衣塑子さん講演記録
日本歯科医師連盟の闇献金スクープ
望月衣塑子さんの若手記者時代の代表的な仕事として知られているのが、2004年の日本歯科医師連盟によるヤミ献金疑惑のスクープです。
この問題では、自民党と医療業界の間にある資金の流れが大きな焦点となりました。
望月さんは東京地検特捜部を担当する記者として取材を重ね、一連の疑惑を報じたことで注目されました。
2017年のPRESIDENT Onlineでも、当時の望月さんについて、入社4年目の若手記者が大きなスクープを報じたと紹介されています。
経験豊富な記者が多く集まる東京地検特捜部の取材現場で、若手記者だった望月さんが重要な情報をつかんだことは、記者としての経歴の中でも大きな出来事でした。
その後も、武器輸出や軍事研究、入管問題など、さまざまな社会問題へと取材対象を広げています。
参考元:PRESIDENT Online「ベテラン記者出し抜く地方紙4年生の熱意」(2017年11月18日)

若手時代から大きな事件を取材していたんですね。官房長官会見で有名になる前にも、記者として積み重ねてきた経験があったことがわかります。
結婚・出産と家庭との両立のスタート
記者として忙しい日々を送る中で、望月衣塑子さんは全国紙の記者として働く男性と結婚しました。
本人のインタビューによると、2009年に結婚し、その後、2人の子供を出産しています。
結婚・出産後も仕事を続け、育児休業を経て社会部の取材現場へ復帰しました。
2014年頃からは、武器輸出や大学における軍事研究などの問題を本格的に取材するようになります。
家庭と仕事の両立についても、本人はインタビューなどでたびたび語っています。
夫も家事や育児を担い、家族で協力しながら仕事を続けてきた様子が紹介されています。
そして2017年6月からは菅義偉官房長官(当時)の記者会見に出席するようになり、質問を重ねる姿が全国的に注目されました。
演劇少女から新聞記者へ、そして社会問題を追及する記者へ。望月さんはさまざまな経験を重ねながら、現在の活動へとつながる道を歩んできたのです。
なお、夫や子供については、望月衣塑子の夫は誰?家族構成と高田衣塑子の真相を解説でも詳しく紹介しています。
まとめ 望月衣塑子の若い頃から見える「ブレない軸」
今回は、望月衣塑子さんの幼少期から学生時代、中日新聞社入社後の若手記者時代までを振り返りました。
現在は鋭い質問をする記者というイメージが強い望月さんですが、若い頃は女優を夢見る演劇少女だったという意外な一面もありました。
主なポイントをまとめます。
- 1975年7月16日、東京都練馬区大泉で生まれた
- 父親は業界紙の記者、母親は演劇に熱心な人物だった
- 幼い頃は引っ込み思案だったが、小学校の先生との出会いを通じて自信をつけた
- 小学生の頃に児童劇団で『アニー』の主役を経験し、女優を夢見ていた
- 映画『あっこちゃんの日記』のオーディションで最終選考まで進んだというエピソードもある
- 中学時代に『南ア・アパルトヘイト共和国』を読み、新聞記者を志すようになった
- 東京学芸大学附属高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科へ進学
- 大学時代は本人いわく「ノンポリ」の学生だった
- 就職活動で苦戦しながらも、2000年に中日新聞社へ入社した
- 2004年には日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑をスクープした
- 2025年発売の自叙伝『ブレない人』には秘蔵写真や撮り下ろしグラビアも収録されている
望月さんの若い頃を振り返ると、演劇に夢中だった少女が、1冊の本との出会いをきっかけに新聞記者を目指すようになったという大きな転機がありました。
大学時代には現在とは違う考え方をしていたことや、就職活動で苦戦していたことも、人物像を知るうえで興味深いエピソードです。
また、秘蔵写真やグラビアが収録された自叙伝『ブレない人』では、普段の記者会見とは違った望月さんの姿にも触れられます。
現在の望月さんをめぐってはさまざまな評価や議論がありますが、若い頃のエピソードを知ることで、これまでとは違う一面も見えてきますね。

女優を夢見ていた少女時代から、就職活動で苦戦した大学時代まで、意外なエピソードがたくさんありましたね。昔の写真も見てみたくなります。

