今、注目を集めているtimelesz(タイムレス)の新メンバー・橋本将生(はしもと まさき)さん。
華やかなステージデビューの裏には、長い下積みや地元・茅ヶ崎での原点、そして意外な過去の活動が隠されています。
本記事では、橋本さんのこれまでの経歴や芸能界に再び立つまでの道のり、さらには中学時代に同じ学校に通っていた桑田佳祐さんとの知られざるつながりまで、ファンなら必見のエピソードを丁寧にご紹介します。
読み進めるごとに、彼の人柄と魅力がきっと伝わるはずです。
橋本将生のプロフィールと経歴 VOYZ BOYからタイムレス加入までの道のり
橋本将生さんのこれまでの芸能活動の軌跡を、時系列で詳しく振り返っていきましょう。
橋本将生さんの基本プロフィール
橋本将生さんは、1999年10月17日生まれの神奈川県茅ヶ崎市出身です。
身長は176cmで、スタイルの良さと爽やかな雰囲気が特徴的な若手アイドルです。
2025年よりSTARTO ENTERTAINMENTに所属し、timelesz(タイムレス)の新メンバーとして注目を集めています。
メンバーカラーはピンクで、グループ内でも柔らかく親しみやすいキャラクターとしてファンからの支持を得ています。
高校卒業後は、一時期芸能活動から離れ、都内の高級焼肉店でアルバイトをしていた経歴もあります。
芸能人の卵が多く働くお店で、芸能活動との両立を意識していたと考えられます。
VOYZ BOY時代の活動とAbema出演
橋本将生さんが芸能界で本格的に活動をスタートさせたのは2018年。
当時は、歌もダンスもほとんど経験がなく、まさにゼロからの挑戦だったと言います。そ
んな橋本さんが所属したのが、元ジャニーズJr.の秋山大地さんがプロデュースするボーイズグループ「VOYZ BOY」です。
リーダーは、関西ジャニーズJr.出身の赤名竜之介さんが務め、経験豊かなメンバーがチームを牽引していました。
橋本さん自身は、ステージ経験もほとんどなかったものの、努力を重ねながらスキルを伸ばし、2000人規模の観客を前にライブを行った際には、その光景に大きな感動を覚えたと語っています。
ペンライトが揺れる会場の様子は、「一生忘れられない風景」だと本人が振り返るほど、強く心に残った体験だったようです。
グループのデビューアルバム『ARRIVAL OF VOYZ BOY』は、オリコンデイリーランキング3位、ウィークリーランキングでも5位を獲得するなど、好調なスタートを切りました。
橋本さんはその後も約3年間にわたって活動を続け、2021年12月にグループを卒業。
彼の卒業と同時期に、他にも15名のメンバーが脱退しており、チームの転換期を象徴する出来事でもありました。
VOYZ BOYはその後も活動を継続していましたが、2023年3月31日をもって解散しています。
また、VOYZ BOY在籍中には、ABEMAの人気恋愛リアリティ番組『恋する♥週末ホームステイ』にも出演。
「はっしー」の愛称で登場し、「シャイなシティボーイ」というキャッチフレーズと共に登場した橋本さんは、初々しい高校生として視聴者の間で注目されました。
番組ではカップル成立とはなりませんでしたが、純粋で不器用な恋のやりとりが視聴者の心を掴み、「可愛い」「応援したくなる」といった声が多く寄せられました。
初めての恋愛にはうまくいかなかったものの、その頃の彼の可愛らしい印象を覚えていたファンからは、2025年にタイムレスに加入した際、「大人っぽくなっていて驚いた」という反応も多く見られました。
現役高校生として出演していた当時の橋本さんは、まさに“あどけない笑顔”が印象的な存在だったのです。
ジュノン・スーパーボーイ・コンテストへの挑戦
VOYZ BOYを卒業後、橋本将生さんは2022年に開催された「第35回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」にチャレンジしました。
ジュノン・ボーイは、新人俳優やアイドルの登竜門とも言える大会で、毎年数千人規模の応募がある中、注目を集める存在になるのは容易ではありません。
橋本さんも最終選考には届かず、ベスト20の手前で惜しくも敗退となりました。
このとき橋本さんは22歳。
夢のひとつだった“仮面ライダー俳優になること”にも挑戦を重ねていた中で、目の前のチャンスを逃したことは、大きな挫折だったと想像されます。
後に参加した「timelesz project」のオーディションでは、Sexy Zone(現timelesz)の菊池風磨さんから「これまでの人生はどうだったか」と問われ、「ずっと負けてばかりの人生でした」と静かに答える場面がありました。
10代から芸能界に身を置き、結果が出せず悩み苦しんだ日々。
それでも諦めずに挑戦し続けた橋本さんは、ジュノンボーイの審査が進む中で、持ち前の誠実さや内面から滲み出る魅力を見せるようになります。
SNSや配信アプリ「SHOWROOM」などでもファンの支持を集め、注目度が一気に高まりました。
その経験が、2025年に「timelesz project」への参加へとつながり、再び芸能界の舞台に立つきっかけとなったのです。
表には出ていなかった努力の軌跡と、それを乗り越えて手にした再出発は、多くの人に感動と共感を与えています。
タイムレス(timelesz)加入の背景と今後への期待
2025年2月15日、橋本将生さんは「timelesz project」を経て、正式にtimeleszのメンバーとして加入しました。
元々はSexy Zoneのメンバーで構成されていたグループに新メンバーとして加入する形となり、その注目度は一気に高まりました。
デビュー後すぐに音楽番組への出演やイベント参加など多方面での露出が増えており、同年3月21日には個人のInstagramアカウントも開設。
ファンとの距離を縮めながら、自身の魅力をより発信していくスタイルが話題になっています。
これまでの経験や下積みを活かし、グループ内で独自のポジションを築いていくことが期待されています。
また、トーク力や表現力にも磨きがかかっており、今後は俳優業やバラエティ番組での活躍にも可能性が広がっていると感じられます。
蕃 YORONIKUでバイト?橋本将生さんの下積み時代と焼肉屋エピソード
芸能活動を離れた時期に、どんな経験を積んでいたのかを掘り下げてみましょう。
蕃 YORONIKUでのアルバイト経験
橋本将生さんが芸能活動を離れていた期間、生活の基盤として働いていたのが、東京都渋谷区・恵比寿にある高級焼肉店「蕃 YORONIKU(ばん よろにく)」です。
食通に名の知られたこの焼肉店は、厳選された肉質と丁寧な接客で知られており、芸能人や著名人が多く訪れる店としても有名です。
2025年6月4日にスポーツ報知で掲載されたインタビューでは、橋本さん自身がこの時期を率直に振り返っています。
「焼き肉屋さんでバイトをしていたので。生活といったらアレですけど、稼がないといけなかったんです」
引用:スポーツ報知
橋本さんはオーディション「timelesz project」の開始から5次審査までの間、生活費を捻出するために週4〜5日勤務していたと語っており、夢と現実の狭間で日々を戦っていたことが伝わってきます。
この焼肉店には、芸能界を目指す若者が多く在籍していたことでも知られ、橋本さんもその一人として、接客や厨房業務をこなしながら生活と夢を両立していたのです。
接客業で身につけた礼儀と意識の変化
「蕃 YORONIKU」での勤務は、単なるアルバイト経験にとどまりませんでした。
橋本さんは、インタビューの冒頭で深々と頭を下げ「よろしくお願いします」と告げるなど、今も変わらないその礼儀正しさの背景には、当時の接客経験が深く関係していると考えられます。
高級飲食店ならではのサービス水準や客層の中で、橋本さんは社会人としての基礎を自然と身につけていきました。
礼儀や所作、言葉遣い、周囲への気配りといったスキルは、アイドルとしての表現力やファン対応にも確実に生かされているようです。
また、同店に来店していた台湾の有名グルメインフルエンサー・TISSさんを橋本さんが接客した様子が映像で残されていたことが、SNS上で「この人がtimeleszに加入した橋本くんだったのか」と注目を集める一因にもなりました。
橋本将生 焼肉店店員#timelesz #橋本将生 pic.twitter.com/BiLktx7Wo2
— 🎀 (@luv__nnw) March 14, 2025
焼肉店から始まった“夢への助走”
オーディションの応募が始まったのは2024年4月1日、橋本さんが履歴書を提出したのはその最終日、同年5月末でした。
この時期までフルタイムに近い形で焼肉店に勤務しながらも、5次審査からは本腰を入れてオーディションに集中するため、貯金を蓄え準備を整えていたそうです。
「世界が変わりました。本当に」
そう語る橋本さんの言葉には、バイトで稼ぎながら夢を追い続けた1年間の濃密な時間と、そこから生まれた感謝と覚悟がにじみ出ています。
この蕃 YORONIKUでの日々は、橋本さんにとって単なる通過点ではなく、夢を現実に変えるための“助走”だったのです。
地道な経験が今の活動に生きている
派手なデビューや話題性ではなく、一度芸能界を離れ、地に足のついた生活を経験して再スタートを切った橋本将生さん。
蕃 YORONIKUでの下積み時代は、決して華やかではないかもしれませんが、そこから得た礼儀や責任感、社会性は、現在のアイドル活動にしっかりと反映されているように見えます。
こうした背景を知ることで、ファンは彼の努力や人柄により深く共感し、応援したくなるのではないでしょうか。
橋本将生さんの魅力は、単にビジュアルやパフォーマンスだけではなく、人間的な深みや芯の強さにあると言えそうです。
地元・茅ヶ崎と中学時代のつながり|桑田佳祐さんとの意外な共通点も!
橋本将生さんの原点である地元・茅ヶ崎との関わりを深掘りしていきます。
地元・茅ヶ崎市で育まれた感性
橋本将生さんは、神奈川県茅ヶ崎市出身です。
湘南エリアの中でも海と自然に囲まれた茅ヶ崎は、ゆったりとした空気と独自のカルチャーが根付いた地域で、多くの芸術家や音楽家を輩出してきました。
そんな環境の中で育った橋本さんの雰囲気には、どこか柔らかくナチュラルな魅力が漂っています。
都会の喧騒とは異なる環境で培われたバランス感覚や人との距離感が、彼のアイドルとしての接しやすさや親しみやすさにつながっているのかもしれません。
地元を大切に思う気持ちは、今の活動の随所に表れており、インタビューなどでも茅ヶ崎について語る場面があります。
茅ヶ崎第一中学校出身という意外な共通点
橋本さんが卒業した中学校は、茅ヶ崎市立茅ヶ崎第一中学校です。
この中学校は、地域でも歴史のある公立校で、数多くの卒業生を輩出しています。
その中で特に有名なのが、国民的バンド「サザンオールスターズ」のボーカル・桑田佳祐さんです。
2025年3月21日に放送されたテレビ朝日系「ミュージックステーション 2時間スペシャル」にて、橋本将生さんはこの事実を全国に向けて明かしました。
新体制となったtimeleszとして初めて同番組に出演した際、共演していたサザンオールスターズの桑田さんに対し、橋本さんは「僕、地元が一緒で、出身中学校も同じなんです」と敬意を込めて伝えました。
そのやり取りの中で、司会のタモリさんから「サザンに伝えたいことがあるの?」と聞かれると、橋本さんは少し緊張した様子で「橋本です。お会いできて光栄です。後輩として恥じないよう頑張ります」と語りました。
すると桑田さんからは「どこですか?住所は?」という冗談まじりの返しがあり、橋本さんが思わず言いかけて周囲から止められるという場面も。
緊張と笑いが交差する、微笑ましい一幕となりました。
このエピソードは、視聴者の間でも「茅ヶ崎つながりってすごい」「地元愛が伝わってきた」と話題になりました。
偉大な先輩との出会いが与える影響
芸能界において、地元や出身校が共通する先輩と出会うことは、大きな刺激になるものです。
橋本さんにとって、音楽業界を代表するアーティストである桑田佳祐さんと、テレビ番組で直接対面できたことは、今後の活動においても忘れられない経験となったに違いありません。
自分と同じ場所で育ち、同じ学校に通った先輩が、日本中に影響を与えている存在であること。
その事実は、橋本さんにとって大きな誇りであると同時に、自身の未来に向けた原動力にもなっているのではないでしょうか。
また、視聴者やファンにとっても、「同じ中学出身のアイドルとレジェンドが共演した瞬間」は特別なものであり、今後も語り継がれるエピソードとなりそうです。
地元への想いとこれからの展望
橋本将生さんの発言からは、地元・茅ヶ崎に対する強い愛着が感じられます。
芸能界という華やかな場所で活動する中でも、自身のルーツを大切にしている姿勢は、多くの人々に親しみを与えています。
今後、もし地元でのイベントやキャンペーンなどに参加する機会があれば、彼の存在は地域活性化にもつながるでしょう。
また、同じように地元に誇りを持つ若者たちにとっても、橋本さんの活躍は希望や目標となるに違いありません。
茅ヶ崎という町から、新たなスターが生まれたという事実は、地域の人々にとっても誇らしい出来事です。
橋本将生さんがこれからどのような形で地元と関わっていくのか、その歩みも注目されます。
まとめ
橋本将生さんは、地元・茅ヶ崎で育ち、VOYZ BOY時代や焼肉店での下積み経験を経て、2025年にtimeleszの新メンバーとして芸能界に復帰しました。
その歩みは決して順風満帆ではありませんが、地道な努力と誠実な姿勢が今の人気につながっています。
中学の先輩・桑田佳祐さんとの共通点も話題になり、今後さらに注目される存在になることは間違いありません。これからの活躍からも目が離せません。
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